ヴィヴァルディ「正義による怒りでRV626」

モテット「正義の怒りによってIn furore iustissimae iraeハ短調RV626」

　アントニオ･ルーチョ･ヴィヴァルディAntonio Lucio Vivaldi^イタリア(1678-1741)

＜ヴィヴァルディの教会音楽＞

　ヴィヴァルディVivaldi^イタリア(1678-1741)は、ヴェネツィア共和国（697-1797）で生まれ、活躍した。ローマ･カトリック教会の司祭であった。音楽史において聖職者（司祭、修道士・修道女）の作曲家は少なくないといえる。特に中世とルネサンスには輩出した。当然のことながら彼らの作品分野は典礼のための教会音楽が多い。それは彼らの生活基盤と活動の場と、生活の中心となるのが祈りと典礼であるからである。そしてその需要にも応える必要もあったからである。しかし、ヴィヴァルディが司祭であったが、例外的な存在でもあった。それは教会音楽にとどまらず、いや世俗音楽の作品数の方が多い作曲家であった。約450曲の協奏曲は周知のことであるが、52のオペラがあった。そして世俗音楽作品の数は教会音楽の作品数をはるかに上回っている。現在分かっているヴィヴァルディの教会音楽は、彼の全作品の一割以下ということになる。これは教会音楽作品数が、一割を優に満たすモーツァルトと比べても少ない。しかし、ヴィヴァルディの協奏曲のあるものには教会音楽作品と指定^１）している。当時の教会の習慣でミサ中に、音楽を終始演奏していたこともあったといわれているが、聖変化の箇所では音楽は完全に止められたという。

　ヴィヴァルディの教会音楽は、ミサ曲、モテット、オラトリオ、カンタータなどと多岐に及ぶ。彼は30才近くになった後に、こうした声楽を伴う教会音楽作品を手掛け始めたようである。それらは男声を必要とする作品も含まれている。というのはヴィヴァルディは1703年司祭叙階後すぐヴェネツィアにあった４つの養育院の一つであるピエタ養育院Ospedale della Pieta（女子孤児院）で音楽教師maestro di concertiとして仕事をすることになる。ピエタは女子養育院で混声編成は不可能であるが、男声を招聘して演奏することも可能ではあった。また彼の教会音楽のすべてがピエタ養育院のためのものだけではなかったのである。

　1930年に２つの膨大なヴィヴァルディの楽譜のコレクションが発見された（現在トリノ国立図書館所蔵。フォア=ジョルダーノ･コレクションと名付られている）。この中には数百曲の協奏曲、20以上のオペラ、数十曲のモテット、オラトリオ、カンタータ、ソナタ、トリオなどが含まれている、夥しい数のヴィヴァルディの自筆楽譜であった。この発見によって次のことが明らかになった。それまでの作品目録に無いものや、彼としてはめずらしい楽器編成やスタイルをもつ作品が含まれていたことである。

　唯一の通作ミサ曲として現存する「ミサ曲ハ長調RV586」は、1965年頃ワルシャワで発見された。ヴィヴァルディはこのような未知の作品の発見の可能性をまだまだ秘めた作曲家である。当時、国際都市国家ヴェネツィアから東西ヨーロッパへと彼の作品は、広く伝えられて行ったからである。それはヴェネツィアにおいて、ヨーロッパ随一の盛んな出版活動がおこなわれていたからであった。出版された楽譜はヴェネツィアの海から河川によってヨーロッパ中に伝わって行った、と考えられている。

［注］

１）　ヴィヴァルディが教会音楽用作品とした協奏曲

　筆者の考えではこれらの協奏曲のみならず、けっこう自由な考えで選んだ協奏曲もミサ中に弾いたと思われる。

＜モテトゥスからモテットへ＞

　モテットmottetto^{イタリア語}は、教会音楽に分類される多声様式の声楽曲である。さて、モテットについて簡略に述べると次のようになる。中世・ゴシック（c.1200-c.1400）ではモテトゥスと呼ばれる楽曲があった。これは13世紀のフランス、ノートルダム楽派で成立した15世紀初頭までの一応教会音楽としての多声曲であった。これがモテットと呼ばれる楽曲の源泉となる。モテトゥスがモテットとなるのはルネサンスからで、そのすぐれた多声音楽書法を経て、バロックの多声的音楽やモノディ様式、そして古典派やロマン派になるとより自由な形態となっていく。それゆえ定まった書法や定式のない声楽作品といってもよい。またミサ曲のように、典礼の中で決まった役目と用途のある楽曲でもない。用いられる歌詞テキストは聖書や祈り、宗教的な詩である。

　さて、モテットの元のモテトゥスmotetusは、正式なラテン語ではないが、<動き>を意味する名詞motus^ラテン語と、<ことば>を意味するmot^{フランス語}とによる造語と考えられている。それはモテトゥスがフランスで生まれたものであり、モテトゥスが多分にことば遊び的要素が多い楽曲であり、２声部、３声部か４声部の多声楽曲であった。その骨格となる声部はテノールtenor^２）部である。グレゴリオ聖歌の旋律とラテン語による典礼式文や宗教詩の断片を引用し、引き伸ばした音型を用いて定旋律カントゥス・フィルムスcantus firmus^２）とした。そして定旋律を受けもつ声部をテノール部tenorといい、このテノール部に対する歌詞も旋律も異なる第２声部duplum^２）としてフランス語の世俗詩による声部を加えた。これはこの第２声部duplum自体をモテトゥスといわれ、こうした形態の楽曲自体をモテトゥスともいわれた。これはアルス・ノヴァの時期から生じたものである。さらに、この第２声部とは異なるフランス語の世俗詩による第３声部triplum^２）を加える。さらに第４声部quadruplum^２）としてフランス語の世俗詩による声部を加えた４声部のモテトゥスもできた。

　そしてその後、フランス以外の国々では、定旋律を受けもつテノール部はラテン語を用いるが、それぞれの国の言語の世俗詩を他の声部で用いた。その詩は、トルヴェールが扱ったような宮廷的な恋愛詩やパストラルのような内容であった。この頃のモテトゥスは、まだ器楽を伴わない無伴奏様式であった。結論的に言うとこれらは遊び心満載で、教会音楽とは言いがたいものである。

　ルネサンス(1400-1600)後半からモテトゥスmotetusが、motet^{フランス語･英語}、モテットmottetto^{イタリア語}と表記が変わる。前半期の作曲家、例えばデュファイDufay^{ブルゴーニュ}（c.1400-75）はモテトゥス、後半期のパレストリーナPalestrina^イタリア（c.1525-94）はモテットと表記して作品を書いている。ともあれルネサンスに入るとグレゴリオ聖歌を定旋律とし、他の詩句=ことばmotの引用は無くなり、定旋律と同じラテン語の詩を用い、純粋な教会音楽としてのモテットとなる。モテトゥスと他の異なる点は、この時期の作曲者たちは器楽を伴わせる書法を用いた。

　このことはバロック(1600-1750)に入ってより盛んになり、通奏低音を駆使した作品が生まれていった。また、多声書法に限らない書法で作曲されるようにもなる。注目すべきは、合唱、独唱、重唱、そして器楽合奏を組み合わせた楽曲となったことである。G.ガブリエリG.Gabrieli^イタリア（1554/57-1612）によって複合唱やモンテヴェルディMonteverdi^イタリア（1567-1643）などによって協奏曲様式も加味され、さらにオペラやカンタータで培われたレチタティーヴォとアリアも付加されていった。そして多声楽曲から独唱曲と、合奏や管弦楽による協奏曲様式のモテットの楽曲が作られるようになる。

　ここでみるバロックの音楽家ヴィヴァルディの教会音楽であるモテット「正義の怒りによってRV626」は、以後のモテットの先がけともなった。さらにJ.S.バッハBach^ドイツ（1685-1750）が手がけたモテット「神よ、わたしの罪をおゆるしください BWV1083」、古典派時代のモーツァルトMozart^{オーストリア}（1756-91）の独唱と管弦楽によるモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よExultate, iubilateK.158a」（３部分構成）である。そしてモーツァルトはさらに新しい形の混声４部と管弦楽によるモテット「アヴェ･ヴェルム･コルプスAve verum corpus K.618」（１部分構成。43小節！）を作曲したのであった。「アヴェ　ヴェルム・コルプス」はホモフォニックな様式^３）で作曲されている。

　ロマン派時代のメンデルスゾーンNebdelssohn^ドイツ（1809-47）の「３つのモテット Op.39」、あとシューマン、ブラームス、フランクなどがつづく。

［注］

２）　テノールtenor=定旋律を受けもつ声部、カントゥス・フィルムスcantus firmus=定旋律、ドゥプルムduplum=第２声部、トゥリプルムtriplum=第３声部、クアドラプルムquadruplum=第４声部を意味するラテン語である。

３）　ホモフォニックhomophonicとは、主旋律に従って他の声部も主旋律を支える和声の展開となる様式の楽曲である。

＜モテット「正義の怒りによってハ短調RV626」=教会音楽＞

　ヴィヴァルディによるこのモテットの作曲時期は、ヴェネツィアにあったピエタ養育院Ospedale della Pieta、音楽教師maestro di concerti時代ということぐらいしか分かっていない。ヴィヴァルディがピエタ養育院に務めていたのは、1703年-1717年と1735年-1740年初めまでの二つの期間が確実な期間として記録が残されている。他の期間も可能性があるが、1718-1720年マントヴァ宮廷に、1722年末から1723年-1724年前半期ローマにいたので、これらの期間にはヴェネツィアにはいなかった。これによって推測されるのは1721年-1722年前半はヴェネツィアにいたから、ピエタ養育院で働いていた可能性がもある。そして1725-35年の期間、確実にピエタ養育院の記録には彼の名は出てこないないが、1735年-1740年の期間には務めていたかもしれない。ピエタ養育院時代、協奏曲は多く出版されたが、評価が高くなかったモテットの殆どが出版されていないことがわかっている。

　もう一つ考えられる作曲時期は、1723-1724年前半のローマに滞在時だったかもしれない。この頃、ソプラノ独唱、弦楽合奏と通奏低音という編成を多く描いているし、教会歴の年間、つまり特別な時節でない期間に演奏できる典礼音楽の需要が多かったからである。

　ソプラノ独唱、弦楽部と通奏低音、これはヴィヴァルディお得意の協奏曲の形で、遺憾なく彼の技量が発揮されている。歌詞の内容は、罪深い人間が怒りの神、つまり力ある神に対する恐れと信頼を歌い上げている。オペラ作曲家として名を馳せていたヴィヴァルディの表現はたいへん劇的であるが、決して形而下的な表現をとっているのでもない。全体として高雅な曲想は保っている。独唱モテット、曲の組み立てや終曲にアレルヤを置くやり方は、モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よK.158a」（1773年作曲）先駆的作品となっている。

楽曲構成	楽曲形態	曲想記号と調	楽曲内容
第１曲	アリア=ダ・カーポ形式	アレグロ　３／４拍子　ハ短調	劇的な序奏、ソプラノ独唱は華麗な響きで輝いている。後半部から強奏から弱奏・速度もゆるめ、謙虚なわれわれ人間の祈りとなっている。そして曲冒頭に戻り、前半部で閉じられる。
第２曲	レチタテイーヴォ	４／４拍子　ト短調	６小節のレチタティーヴォながら、非凡な和声の動きで、豊かな表情をもたせている。
第３曲	アリア=ダ・カーポ形式	ラールゴ　３／８拍子　ト短調	歌詞は、力ある神に呼びかける切実な祈りとなる。終始内省的かつ抒情性が発揮される曲想となる。第４部との対比を巧みに計っている。
第４曲	終曲：アレルヤ	アレグロ　４／４拍子　ハ短調	終始歌詞は「アレルヤ」がくり返し歌われる。本曲最も華麗にして希望と歓喜あふれる頂点となる。ヴィヴァルディの個性が炸裂する音楽である。

＜モテット「正義の怒りによってハ短調RV626」の楽曲構成と対訳＞

In furore iustissimae irae	正義の怒りによって
Ⅰ　Aria In furore iustissimae irae tu divinitus facis potentem. Quando potes me reum punire ipsum crimen te gerit clementem.	第１曲アリア正義の怒りによって、神のあなたはみ力を振るわれる。罪びとのわたしをいつでも罰することがおできなるし、わたしの罪をあなたはやさしくゆるしてもくださる。
Ⅱ　Recitativo Miserationum Pater piissime, parce mihi dolenti peccatori languenti, O Iesu dulcissime.	第２曲　レチタティーヴォあわれみ深い父よ、いつくしんでください。罪で悩み病むわたしをいたわってください。おお、やさしきイエスよ。
Ⅲ　Aria Tunc meus fletus evadet laetus dum pro te meum languescit cor. Fac me plorare, mi Iesu care, et fletus laetus fovebit cor.	第３曲アリアわたしの嘆きは喜びに変わるでしょう、あなたによっていやされるからです。嘆きの声を上げさせてください、愛するイエスよ。嘆きから生まれた喜びが、心を慰めてくれるでしょう。
Ⅳ　Finale Alleluia．	第４曲　終曲アレルヤ^４）。　－神をほめたたえよ。－

［注］

４）　アレルヤAlleluia^ラテン語：「神をほめたたえよ」の意味である。
アレルヤの語源は、ヘブライ語のハレルヤהללויה‎である。<ほめたたえる>を意味するハレルは複数形命令形である。ヤーウエ（神の名を意味することばである）を短縮形=ヤをくっつけ、ハレルヤとなった。これから派生してギリシャ語のアレルヤΑλληλούιαやラテン語のアレルヤAlleluiaが生まれた。英語ではHalleluiahハレルヤとヘブライ語に近い発音となっている。

ヴァイオリン協奏曲ヘ長調RV286	聖ロレンツォ（ラウレンティゥスの祝日のために）
ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV582	聖母の被昇天のために（８月15日）２つの管弦楽
ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV212	1712年のパドヴァの聖アントニウスの聖なる舌のために
２つのオーボエ、２つのホルン、１つのヴァイオリンのための協奏曲RVニ長調